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写真:多軸機・専用機用ツーリング
写真:汎用機用ツーリング

米国スカリジョンズ社との技術提携により生産に乗り出したツーリングの滑り出しは快調そのものだった。1962年(昭和37年)に約3ヶ月間、シカゴのスカリジョンズ社で研修を受けた丸茂一義(当時大貫工場工務課長)、望月昭二(同営業部係長)、横尾忠昭〔同工務課設計係長)の三人は同社からさまざまなことを学んで帰国した。なかでも、親身になって世話をしてくれたスカリジョンズ社の営業部長、スキーバは、別れ際、営業担当だった望月にこんなアドバイスをしてくれた。「営業の重点を多軸の専用機やトランスファーマシンにおくこと。インチ寸法をメートル化して自動車メーカーなどの社内規格に採用してもらいなさい。また、デモカーで工場などを回って、実演による宣伝をするといい」。
望月らが研修に行っていたころ、同社ではすでに「ツーリングシステム」といわれるチャートが作られていた。これは、各種工具保持具を集大成して、スピンドルと工具との関係を目的に応じて分かり易く示したものだった。このシステムを望月らが持ち帰ったことから、工具保持具を「ツーリング』と呼ぶようになり、以後、この名で定着した。
スカリジョンズ社では、「摩耗工具の交換などのダウンタイム(無駄時間)を少なくするのがツーリングの役目である」と強調したため、「ダウンタイム」は業界関係者の問で流行語のようになった。帰国後、望月らは米国で受けたアドバイス通りの営業を展開した。当時、珍しかったデモカーによる宣伝効果は抜群だった。こうした「アメリカ仕込み」の営業活動が効を奏して、トヨタ自動車の社内規格にツーリングシステムが採用され、やがて他の自動車メーカーにも波及していった。この動きは、65年以降に始まるマイカー時代に対応するトランスファーマシンの増設に伴ってさらに活発化していった。このとき自動車産業におけるツーリング市場は、黒田精工の独壇場となった。自動車生産台数はその後も伸び続け、各自動車メーカーでは生産技術上の「ダウンタイム」短縮がより強く求められるようになっていた。こうしたなかで高品質なツーリングの開発もまた要求されるようになっていた。
要望に応えるべく、黒田技術陣が自動車生産用の専用ツーリングの開発に明け暮れていた間、日本の工作機械はNC(数値制御)化に向けて大きく動き始めていた。

こちらの記事は、1996年2月から同年8月にわたり日本工業新聞に連載されたものに加筆したのです。

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